しえのにっき

何者にもなりたくないし、何者にもなりたい

自分という呪い

ある時、呪いって言葉がしっくりきた

 

最近、「呪い」という言葉をよく聞きませんか。

逃げ恥やタラレバ娘のドラマ化で、一般的というか流行りというか、浸透してきている言葉だと感じてます。

 

私が呪いという言葉を意識したのは、

二村ヒトシ監督のこの本を読んだ時です。

 

 

何度か書いてるかもしれないけど、

このタイトルからしてすごく惹かれるものがあって、

呪いという言葉がすっと腑に落ちた。

 

私がずっと思ってたこと

「自分に疲れる」

「自分で自分が許せない」

 

『ああ、これが呪いだったのか』

 

しかも、この呪いはひとつじゃない。

私たちはもしかして、何重にも呪いをかけているかもしれない。

 

私のイメージでは、靄のように少し色があって、

形があるようでないけど、ベールのように自分を包んでいる。

 

内側の自分からは、その大きさや霧の濃さ、

どれだけ自分を締め付けているのか分からない。

 

分からない。

 

これが呪いから解き放たれない一番の理由だと思う。

 

私が最近かかっていた呪いは、仕事観だった。

 

同世代やこの地方の仕事観から離れてしまった、

でも、SNSでみる知り合いや好きな著名人たちはバリバリ仕事してる。

(仕事熱心な人が好きだからフォローしてしまう)

 

バリバリでなくとも、私より負荷をかけて仕事して稼いでる。

 

毎日見てると、私はこれでいいのかな、こうあるべきではないかなと

不安に襲われる。

 

人とと同じ生き方は嫌だ、とまでは言わないけど、

違っていいじゃないかと外れたのは私なのに、

共通項の多い側に戻りたくなってしまった。靄に囲まれてしまった。

 

自分の尺度で測らないから、呪いをかけてしまう。

 

自分が認めてあげないと。

 

そう思ったら、靄が少し晴れて先が見えました。

 

 

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