しえのにっき

何者にもなりたくないし、何者にもなりたい

なぜ仕事を一生懸命しているのに、すれ違うのか

どうも、しえです。

人と暮らして気づいたこと。

 

 

ドラマとかでよく言う、「仕事と家族どっちが大事なの!!?」

 

きっと、これを言われた側は

お互い役割を果たしているのに、どうして?と思う。

 「お前は強いからな・・・」と彼氏に言われた時もそうかもしれない。

 

同じ場所で人と暮らすことは、

力を合わせて経済的なことと、家事などの内側のことを

お互いが住みよく暮らすために役割分担して継続していくことだと思う。

 

その役割を果たすために努力しているのに、なぜ?となる。

一度、そんな感じのことでケンカした時に気づいたこと。

 

現在働いてませんが、仕事していた時は帰りも10時11時と遅く、

お風呂に入って、適当に夕飯的なものを食べて、

着れる服が無くらないよう洗濯物を回すだけで精一杯。

 

最低限の役割だけして暮らしてました。

だから、ケンカになった時。全然意味が分からなかった。

 

きちんと役割は果たしているのに、どうして?

バリバリ仕事をしている人は、

生活費を稼いでいるのにそれで十分じゃないか。と思う。

「仕事と家族どっちが大事なの!!?」ってセリフ、

女性が言うイメージがあるけど、理由を考えてみた。

 

仕事はお金っていう分かりやすい形で返ってくるから、

相手に示しやすい。

家事は数字にするのは比較的難しい。

家の中が綺麗とか、料理が美味しいとかあるけど、

その努力は示しにくい。

だから、話し合いをする上ではちょっと負けてしまうのかなと。

 

まあ、話は戻って。

わけ分からないと思いながらも、色々思い返してみました。

生活する上では最低限というか、それなりの役割をしていても、

精神的なことを気づいてあげられてなかった。

 

一緒に住む前は、お互いにそれぞれ生活をしていたので

そこは気にすることなく、もっと精神的なつながりを深めていたと思う。

 

ラインや電話やデートの時、元気がなかったり疲れてたりしてたら

すぐに気づくし、好きなものはなんだろうとか相手に興味がよりあったと思う。

 

ところが、一緒に暮らしてみると、基盤である生活ばかりに目がいってしまって、

相手のことに気づきにくくなる。

同じ場を共有できるようになるので、会話も減る。

 

それに気づいてから、相手の雰囲気をよく感じるようになった。

ついつい生活できてるからオッケーと思いがちだが、

それに感けてはいけないと気づかされた一件だった。